カールロジャーズ入門 -自分が"自分"になるということ− その2

厳選食材 かわしま屋です。こんにちわ。


その1の続きです。

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最初にまず、における「自己」の問題を考える上で、
最も重要なものとして臨済の次の言葉を紹介しておきたいと思います。



『赤肉団上に一無位の真人あり。常に汝ら諸人の面目より出入りす。
未だ証拠せざる者は看よ看よ。』


赤肉団上、すなわちきれば赤い血の出る肉体の中に、
仏とも衆生とも言えない一人の真実の人間−「無位の真人」−が
いる、そしてそれはいつも君たちの面目、
つまり目や鼻といった感覚器官を通していきいきと働いている。
その「真人」をまだ自覚していない者、
心眼を開いて見ていない者は、見よ見よ、というわけです。


ここで「無位の真人」と呼ばれているものこそ、
禅で言う「真実の自己」なのですが、
それは私達の心の奥底に潜んでいる実態的な
何かではありません。
それはむしろ、「諸人の面目」、
つまりさまざまな感覚器官を通して
私たち一人ひとりの内側で常に粋働いている
いのちの働きそのもののことです。


私たちはつい、自分は「サラリーマンである」
「妻である」「欲深いけれど小心者である」などといった
概念的実体的な何かに『自分』の真実があるように思い込んで
しまいがちです。
けれどそれは錯覚にすぎません。
そうではなく、私たちのうちで常にすでにいき働いている
この<いのちの働き>それ以外にはどこにも真実の自分など
というものはありえない。だから、目を開いて、その真実を
しっかり直視し体認せよ、というわけです。

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カールロジャースの心理学は
禅の概念と共通した所がある。
この本の著者はそう書いています。


○カールロジャーズ パースンセンタードアプローチ